何だか国際政治に関係する時事論文のように聴こえるかも知れないが、これは私の年齢に関する、現時点での、悔しいけれども、紛れもない、厳しい事実を述べようとする、小さな記録である。

何処を歩いていたとしてもよいのだが、何時も歩く、北鎌倉駅から我が家、鎌倉の今泉台までの、明月院の前を通る、明月谷の坂道でもよいし、どうせ言葉にするのだから、思い切って気障(きざ)なことを言えば、今年、平成二十一年の春、久しぶりに行って歩いた、パリの、モンマルトルの丘の下の、ブランシュ街の春浅いマロニエの並木を歩いていた時とか、モンパルナスの、エドガー・キネーの地下鉄の駅から、サルトルやボーボワール、シャルル・ボードレールなどのお墓のある、モンパルナス墓地の外壁に沿った道を、朝食のバゲットを買うために、ある秋の朝、七時半から店を開けているパン屋さんへ急いでいた時のことでもよいのである。

 

最近の生活動作に関する実感なのだが、七十七歳を前にして、私も遂に歩行能力に変調を来たした、と言わざるを得ない。

何万人、いや、人類史上、何億人という、人間としての先輩に当たる、古今東西の人たちが、自分の人生を終える前に通過して行った、生活の日常行動の、動物としての、人間の生活の、一つの道程を私も辿っているだけのことなのだが。私という、何れは死んでゆく動物である、人間の一人として、その末期に近い生態の一面だと言わざるを得ない。

 

数年前のある日、妻と鎌倉の材木座から逗子、小坪の叔母の家へ向かっていた時、そこは、光明寺に近い、道路が何度か直角に曲がる界隈だったのだが、角を曲がって見る正面の商店のガラス戸に映る自分の姿を見て、私は悲しくも、ハッとした。

ガラス戸の中の自分の姿に、どこかの誰かの歩く姿を感じたのである。作家、安岡章太郎だったと思うのだが、彼は、そこに自分の父の晩年の姿を見たと書いているのを読んだことがあるが、私の場合、何とそれは、ある時期の韓国の大統領、金大中(キム・デジュン)氏の姿だった!

体躯と言い、丸顔が、「色男」台無しに、少しくたびれているところと言い、一時期八十キロあった、日本人として、どちらかと言えば巨漢に属していた身体が、少し萎びたところと言い、着ている衣服が、大統領ほど高価なものではない点を除けば、職場での一時期の綽名の通りに、韓国第十五代大統領、金大中氏の晩年の歩く姿そっくりだった。

ビッコを曳くわけではないのだが、膝が予期に反して充分に上らず、そのまま踏み下して次の一歩を踏み出そうとする姿は、文字通り、高齢者の歩き方そのものなのである。

 

人間の歩き方については、一時期、演劇に興味を持っていた頃、人間の動作の特徴を、演劇部の仲間と共に、あれこれと「分析」して、様々に実演したりして、批評しあったりしたこともあった。姿勢、目線、歩調、そのテンポなど、年齢や地位、職業にも、それに応じた歩行動作があるものだと他人事のように話したものだった。

舞台では、滝沢修が上手だったとか、仲谷昇は今一歩、三船俊郎はどう評価するか、外国の映画俳優では、ジャン・ギャバンとジェラール・フィリップのどちらが歩き方が上手だったかとか、ゲリー・クーパーやグレゴリー・ペックは一本調子だったとか、やっぱりイギリスの「サー」の称号まで肩書きにある、ローレンス・オリヴィエは相当に頭のよい、芸に厳しく、動作に隙のない、稀代の模範的な役者だったのだと褒めたりしたことがあった。

人間の動作の基礎にある伝統演劇や日常行動における姿勢のこともよく論じ合った。能や歌舞伎、中国の京劇、太極拳、オリンピックの体育競技や刀槍(とうそう)の技、やはり刀剣の得物を手にしたときの格闘技である、日本の剣道と西洋のフェンシングの構え方や身体の動かし方、身振り、動作の違いなどが、東西の民族的な歩行姿勢の差となって出ているのだろうかと議論したこともあった。中国はどうなのだ、インドやトルコはどうなのだ、やれ古代のギリシャやローマはどうだったのだなどと、生きて動く実際の人間を見ることの出来ないところまで話が拡がったこともあった。そうかと思うと、一転して、今、歩く姿が惚れ惚れするような役者が日本にいるかなどと気炎を上げたりしたし、欲望丸出しの政治家の動作や姿勢、誰一人として気品のある動作を見せる者が居ないとか、アニメーション映画の出来具合も、その観点から、友だちと、様々に批評したりしたものだった。

それが、今、真似をするわけでもないのに、自分が、隣国の一時期の大統領の老残の姿に似た動作の主であることを思い知らされたのである。

今までは、人間の動作というものは、若干は訓練というものを要することはあっても、努力すれば体得できるものと思っていた。ところが、そうした意識の、もう一枚下にある、日常動作の根底が、今、危機にあることを思い知らされているのである。自然の動作としては、以前のようには動かない、こうすれば人並みの動作に見えるかと思うときには、自分では、相当な努力が必要になったのである。

普段、道を歩くとき、勿論、躓かないように気は付けるものの、ほぼ無意識に前進しているのだが、姿勢を正して、爺(じじ)い臭くなく、スマートではなくても、普通の理性的な一市民として行動しようとしているのに、ふと気がつくと、姿勢が崩れている。そのために、自分で普段、思っている姿勢を保とうとすると、思い掛けない努力が必要であることに気づく。

私は「高齢者」という言葉が嫌いで、「若い姿のままでくたばろう」と思っているのだが、周囲の建物にあるガラスや鏡や、何でもない反射物の総てが嘘をついていないらしい。

そんな昨今、出来るだけ「老い」を表面に出さずに生きてゆこうと過ごしている生活にこんなことがあった。

この間、パリから帰ってきたとき、東京駅で、乗り換えて、大きな旅行鞄を持って、横須賀線に向かってエスカレーターで移動していたのだが、エスカレターが、頂上に達して、それを摑んで降りようとしたとき、前に同じような姿で移動していた、やや年配の女性のバッグが、旨く摑めなかったのか私のバッグの邪魔をした。そのため私は、自分のバッグが後ろへ傾いたので、それを摑み直そうとして、最上段で一歩踏みとどまった。勿論、少しよろめく形となった。すると、私の直ぐ後ろに乗っていたらしい、後になって考えると、若いと言っても、恋人一人も見つけられそうになかったような、意地の悪そうな四十歳前後の、鬼の私生児のような、筋張った不美人が、怖い顔で私に行った。

「シッカリしてくださいよ。ウロウロしていないで!」と。

魅力というものを、どの人間に対しても感じさせない女だった。

私は、発生した事態に対して、同情して欲しいとまでは思わなかったが、公平に見て、その事態の原因は私にはない。力一杯生きている、私の前を行く年配の女性の、一寸した隙の、一瞬の出来事だった。

言わば、自然発生的な現象だったのだが、普通の市民的な常識と善意で援けてくれてもよかったとまでは言わない。ところが、それを、ボケ老人がウロウロしていたために生じた事態であるかのごとく、その女性は、物凄い形相で私を攻めたのである。彼女の亡くなったと思われる父も、老いて死ぬ前に、実の娘である彼女から、同じような言葉を聴いたのだろうか。

正直で、善良な市民の、公正な感覚を目覚めさせる意味で、私にはまだ力があったから、当面の無礼に対する応酬として、目から火花が飛ぶくらいに殴り飛ばしてやろうかと一瞬、思ったが、紳士である悲しさで、自制した。

東京とは、そういう、人間の皮を被った冷血、短絡動物が、人間面(づら)して生息しているところなのだ。そんな女が私の年齢になったときの姿を見てやりたいものだが、そんな人間が、生きる権利のある日本国の市民として跋扈する東京と日本を、私は愛せない。だから、彼らから「高齢者」として差別されることも私は好まない。日本は、国際的に見ても、本当に変な国だと私は思う。そして、そこで歳をとるということは、そういう馬鹿な者たちに、理不尽に蔑まれることだと悟った。日本は、益々、国民の不幸が膨らむ国になるだろう。

これは、政治の問題ではない。政治の母体を形成する者が、自己中心的な計算で、日々、精神的な近視眼で生きているだけで、他者に対する友愛とか善意の奉仕ということの意味を知らない、目先の利得の算数的な極大値の追求をすることだけを自分の「権利」と誤解し、そうした人間たちが造り上げる、国民と自称する心の荒(すさ)んだ人間集団が、自分の存在の意味を考えることなく、目前の我欲で「政治」と称する、支配権の独占を目指す意地悪ゲームを、懲りずに繰返す島国なのかもしれない。物質の天国で、心の地獄なのかもしれない。

この事態は、多分、我々日本人の問題であって、他国とか、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドウゥー教や神道などの、天地乾坤の、どの八百万の神も、誰も治してくれないだろう。自分たちで気付いて、反省して、自分たちを立て直さない限り……。

 

偶々、隣国の大統領に似た姿で老いることになったためなのだろうか、随分、激しい言葉が口から出るようになってしまった。不本意である。      

終(091018)