マイスターネット

「眠れる知財」を掘り起こすNPO法人

私は、昭和七年、一九三二年生まれである。だから、本気で、あるいは、正直に言って、七十五歳を過ぎた私に残された人生の時間はもう少ない。何時死んでも不思議はない。悔しいがそれが自分の、今の本当の姿だと思う。従って、その人生を、いい加減な理窟で誤魔化したり、誤魔化されたりして終りたくないと思う。その意識を念頭に、私は、日々を大切に生きている積りである。

ところが、当節、周囲は実に姦(かしま)しい。例えば、まことしやかな調子で「充実した老後を生きる」とか「栄光の終末……」などの謳い文句で書物などが迫ってくる。そうしたものの中には、手ごろで、浅薄な「ハウ・ツー」物の書物に似ていて、実際には何を言っているのか判らないものも多い。その雰囲気に乗せられて、己の本当の姿が自分でも判らないまま死んでゆくようなことになっては堪らない。

その周囲を、もう少し注意深く見てみると、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、各種の教養講座、ベストセラーや、老人医学の練達の医師、評論家や宗教関係の説教者たちからの、「老後」についての様々な声がある。また、老後の時間を有意義に過ごすためとして、音楽や絵画、踊りや文芸遊びや芸事、ゲーム、体操、スポーツなど「上手な生き方、過ごし方」をほのめかしつつ、高齢者の生き方についての、無責任なものも含むアドヴァイスが、様々な形で盛んに誘いをかけてくる。ご親切な世の中だが、それらに不用意に乗せられて、受身のままで、自分を失わないようにしようと、日々、私は心掛けている。最良の策は、自分でこの事態を静かに考えることだと思う。

 今言ったように、私は七十五歳を過ぎた。しかし、昨今は元気な、私よりも年長の人が多いから、私などは、「まだ七十五歳です」と言うべきかも知れない。多分、未だ若い部類だと思う。しかし、その種の感慨に関係なく、私は、一年ずつ、更に確実に歳を取っていく。それは、生きている限り当たり前のことである。そして、事実、身体は少しずつ機能が衰えてきているのが判る。また、身体は、部位によっては徐々にではなく、何かの時点で、突然、急に能力が落ちることがある。例えば、長い登りの坂を、忍耐強く登り続けようとしても、背中というか、膝というか、下半身に推進力が湧いてこないのを感じて悲しくなることがある。それをもう一段頑張ろうとすると、息が切れそうになる。膝も痛い。実に悔しい。歳を取るのは、まことに嫌な、寂しいことである。

私自身は、全身、今のところ、幸い、ガンの兆候はなさそうである。しかし、これを安心していて好いのかどうかは判らない。死の淵へ我々を引き込む病気は他にも幾つもあるからである。昔の言葉で言えば、男の世界での比喩だが、この年齢を生きて行くことは、将に戦場の地雷原を通過しているようなものである。女性も状況は同じである。しかし、病気を警戒しすぎるのは、そのこと自体が既に楽しいことではない。また、現実に即して言えば、それほど悲壮振るのも、やはり、過剰反応で、ある種の虚栄ではないかと思う。

要するに、私は、今、何時、取り返しの付かない生命の淵に落ち込まないとも限らない年齢になってしまっていることを自覚しなけれならないのである。

 また、一説では、人間の身体の耐久年数は医学的には、大切に使っても、ほぼ百二十年であるとのことである。それが永いことなのか、短いことなのかは判らない。ただ、我々は永くても百二十歳で消えてしまう一つの星なのである。そして、永い宇宙の変転から見ると、何と儚い存在だろうかと私は思う。

 

学問で言う、人類の歴史の中では、私の身体の中にも伝わってきている、千古の先祖から受け継いできた生命は、私は子供に伝えて生物の義務は果たした。そして、自分はこの後、何処へどうなって行くのだろうかと、ふと考える。

 

ところがそれに関して、自分でゆっくりと考えようとしているのに、実に煩く、様々なことが聴こえてくる。また、この歳になると、便利だと思って、つい、偉いと言われているような者たちの言葉に耳を傾けてしまうことがある。

 

それらの中の、昔からあって、意外に威力を発揮しているものに、死後も、自分が存続し続ける、もう一つ別の世界があると、それを強く主張する思想がある。恐ろしい絵や、幸せそうな絵までが添えてある。しかし、それらが唱えることの核心は、我々には、まだ次の何かがあるという思想であって、一種の「霊魂不滅思想」である。人類が心の曙の頃から、願望的に心に描いた、個人の生命の有限という冷厳な事実からの逃避のための、一種の「国際的な」、あるいは「人間的な」悶えだと思う。

しかし、それは、考えようによっては、「……だから、今は、それほど力まなくても好い」と、いい加減に現状を是認させる考え方でもある。昔は、そのために「……だから、お国のために死ね」という思想も成り立った。しかし、それは、確かめることの出来ないことを「約束されていること」の如く、信じ込ませようとしている世界のことであって、実際には何の保証も無い思想なのである。

そのように、その、「来世」という考え方は、人間が造ったお伽話だから、生まれ変わりなどということも含めて、私は全く信じていない。異論のある人もいると思うが、私は、それは「現在」を誤魔化す、親切だが、怪しい思想だと思う。

「極楽往生」とか「輪廻転生」などと称えて、こちらの態度次第では、一瞬にして態度を翻し、予定報復的に「地獄」を仄めかして、脅したり、証拠のない甘い言葉で「極楽」を吹聴たりする思想がある。しかし、それは、今生きている人の、本来の真面目な欲求の発揮を「罪悪」と非難する考え方である。生きている者同士が、生きている嬉しさを確かめる真剣な意慾を非難し、飲酒、飲食、恋愛などに伴う、健全な快楽を罪業に結びつけてくる。そして、それらを、罪深い裏側の秘事だと決め付けて、日常生活での空疎な惰性と臆病を正当化する思想である。それが、今尚、根強く人々の間にある。それらは、日々をずるく誤魔化して過ごす、偽善の勧めに私には見える。

素晴らしい環境に囲まれた場所の、立派な建物に住み、羨ましいような衣裳で、極楽や天国の座席切符の斡旋、販売人のような雰囲気の人物で、実質的には何もしていない「聖職者」たちに、お布施を出して、何を言っているのか判らないお経という、漢文などの、勿体振った読誦を聴いていれば、我々は、必ず、有難く、好い世界に生まれ変ることが出来ると言い含められる場面がある。そして、一寸考えれば当たり前のことを、仔細あり気な片言節句を利用して教えられ、それが極楽への貴重な呪文のように思わされる場面さえある。

仏教の場合、彼らは、そうした現実と仮想世界との、頭の中での変転を「輪廻転生」という。しかし、実際に「前世や来世」を体験的に語った人などはいないではないか。生れる前のことや、死んだ後のことを具体的に話せる人は一人もいない。「死にましたけれど、生きている間に好いことを沢山しておいたお蔭で幸せな世界に生きています」という手紙は来たことはないし、そうした電話が架かってくることはない。夢に出てきた……と言う人はいるけれども。それは何かの錯覚なのだ。また、「生きている間に聴かされていた通り、恐い鬼の国や、恐ろしい池がありました」などといった「体験談」を語った人は何処にもいない。「生命の舞台が、自分の望む形で回転する世界、違った形でのやり直し」などと力説しているけれども、証拠は何もないのだ。この点、仏教徒、特に大乗仏教の世界に浸っている者は、欲が深いと言えると思う。

キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教や拝火(ゾロアスター)教などでは、概ね、死ねば、その後は「天国」などに永遠に安住できると言っているように思う。人生は一回だけだ、確り、真面目に生きろ、後は任せろと言っているように見える。ところが、仏教だけは「また生き続ける」とか「後がある」ことを仄めかしているように私には思える。私の誤解かもしれない。

しかし、普通に考えている積りの私にとっては、神仏の復讐や、地獄へ落ちる、などといった脅しは無意味である。それらが、目に見えない「運命」というものを牛耳っていて、それに従わないと、死んだ後も安心した世界で生きられないなどと思い込ませようとするのは、全部、出任せである。

また、死者の思い出に生きなればならないというのも、その亡くなった人物に対する敬意ではあっても、それは、これからも自分が生きてゆく過程での参考であって、死者自体は、実は、怒りもせず、護ってくれもしないものなのである。いわゆる「魂」に、そんな過剰負担を掛けることの方が死者の「安眠」の妨害ではないだろうか。死者たちの心を、あえて忖度すれば、死者は生き残ったものの全力の生存と幸せと、その情熱の悔いなき発散まで願っている筈である。死は別れであり、思い出であり、大切なものではあるが、矢張り、過ぎ去ったものである。そして、幸いにも未だ生きている、今の自分の心の主人は飽くまでも自分である。その現在の自分を裏切ることで生じる後悔の方が数倍恐ろしいことだと私は思う。今日と明日を造ってゆくのは自分自身なのだから。

自分よりも先に他界した親兄弟、配偶者や縁者、友人知己などは、それらの人たちの思い出を自分だけで大切に心の中で保ち続けるのが「魂の礼儀」であるが、それ以後に自分が何をするかを拘束するものではないと思う。

 

我々は生きていて、自分が行動できる、今が、実は「極楽」なのであって、その日々を真剣に悔いなく過ごすことが正しい生き方だと私は思う。

 

「来世」という考え方は、歴史の産物であって、日本の場合、昔、天平から鎌倉期にかけて、凶作、飢饉、天然災害、疫病、犯罪、暴政、戦乱などが続いた時代、実は、まだその状態は、依然続いているが、そのような日々に生きている者に対する、一種の逃避的迷信である。庶民の目を苦痛から逸らそうと、為政者が己の存在と地位の継続や拡大、あるいは責任遁れのために、大陸伝来の思想に依存したり、約束や予言が当らなかった場合にも説明しなくとも好い、超経験的な世界を仄めかす理窟を、半ば本気で工夫したりした結果である。

 

仏陀の説を聴いて感激し、それを政治にも応用しようと最初に言ったのは、仏陀が初めて自分の悟りを人々に慎ましく語られた、インドのサルナートを、当時、支配していたアショカ王である。その噂が、時を越え、国を越えて、朝鮮半島の百済から日本にも伝わってきた。その頃、日本では決定的な支配者はいなかったが、この島の上で進化してきたり、他所から来たり、より具体的には朝鮮半島から来たりした、様々な勢力があった。彼ら同士は熾烈に戦いもした。蘇我入鹿が不意に殺される事件もあった。そんな頃は、百済から伝わってきたばかりの仏陀の話を聴いても誰も相手にしなかった。ところが、現実の進展の不如意が重なるに連れて、殺した相手の怨念の作用かも知れないと考えて、日々が恐ろしくなったのか、仏を信じて、皆で祈れば、不作も、疫病も、天変地異も、一族の不幸もなくなると、誰かが解釈して仏教をこの国の方針の参考にするようになった。大小の仏像を沢山作り、その格納の館も作り、拝みに拝んだ。国家としてだけではなく、豪族の中には自分の一族の繁栄のために寺を造り、仏像を飾る者も居た。しかし、幾ら祈っても、疫病は流行したし、地震、雷、火事、水害、災害はなくならなかった。不作や飢饉もあった。その頃、支配者たちは、伝来の仏教について、これでは駄目なのではないかと薄々気付いた。皆を引きつけるためには、証拠が目に見えるものでは駄目だと知ったのだ。ふと気が付いたのは、「明日は良くなる」という無責任な言葉を利用することだった。今は駄目だ、諦めろ、だが明日、つまり、死んだ後に好いことがあるということを力説しよう……となったのだ。言った通りにならなくても、死んだ後、あれは嘘だったじゃないかと言って来る者は居ないし、そんなことは初めから出来ないに決っていた。これなら大丈夫。空手形を盛大に売ろう。上手なことを、ややこしい言葉で一杯考えよう。目の前の民衆の不幸を利用して、不満の解消を明日に、先に延ばすことを考えたのだ。金銭や生命は、今、預かるが、利息は後、つまり、死後ということにしたのだ。奈良で栄えた「南都六宗」以後、鎌倉仏教として出現し、今尚、盛んな宗派仏教の内幕はそれなのである。

 

それは、また、当時のエリートたちで、天皇や王者、貴族といった権力的な支配者の暴虐、重税や搾取、貧困や病気、事故や暴力など、現実の苦難を克服できない者が、「現世」を「諦めて」、確証のない「死後の世界」、「次の世」に逃避し、国家所属の「僧侶」にもなって考案した架空の世界である。

その諸説は、自分の人生を真剣に考えようとする者にとっての、一種の精神的麻酔だと思う。近代社会の誕生期に、西欧の哲学者が宗教は麻薬だと言ったのはその意味である。運命や生命の先行きを考えるのは自分ではないか。

同じ日本人でも仏教ではなくて、例えば、天然自然や、その中で変転する「森羅万象」に畏怖を感じる素朴な意味での「何か判らないが、極めて大きなもの」への素直な恐れに似たものの実践と考えて、「神道」を信仰と弔いの「信心」としている人たちは,寧ろ、簡潔で清純な生命感を持っているように私には思われる。それが、すでにヒンドゥー思想だと言われるかも知れないが、その分野の分析は私には行なう能力が無い。

然し、それに関連して、一つだけ思い出すことがある。

飛躍したことを言うようだが、私は二十九歳のころだったが、パリからの留学の帰途、ギリシャへ立ち寄って十日間ほど過ごした時、あの複雑なペロポネソス半島を、アテネから、やや西へ移動していた時に、デルフォイへ向う、山間の峠道に沿った処にある、多分、ギリシャ正教の田舎の教会で、記憶に残る場面を見たのである。

それは、朝、八時半頃だったが、教会の、祭壇の前の、余り広くない土間で、黒い頬髯の司祭、と言うのか、僧侶と言うのか、その宗教の儀式の司祭者に当る、年配の聖職者が、私の体験や記憶を基にして推測すれば、日本の榊(さかき)の枝のような、木の葉の梢を切ったものを水に濡らして、這うような動作も交えて、その、さほど広くない「広間」に、丹念に、丁寧に敷き詰めていた。すると、彼はこちらがそこにいることに気付いたようだった。立ち上がって、こちらの方へやってきた。「何か用か」とでも言われているような雰囲気になった。

私は、旅行者用の、簡単なギリシャ語の手引書を頼りに、実際には意味を成す質問にはならなかったが、「何をしているのですか」という積りで、口から「音声」を発した。案の定、言ったことは通じなかった。

目が会っても、結局は、お互いに目顔で微笑んで、挨拶する程度の場面となった。結局、ギリシャ語はこちらの意思表示の手段には出来ないことが判ったのだが、日本語で言うよりは、意思が通じる確率は高いかもしれないと思って、私はゆっくりとフランス語で、「何をしておられるのですか?」と再び尋ねた。

すると、その「司祭」が、ゆっくりとした口調で、「この広間をピュリフィエ(清浄化)するためです」と、多分、ギリシャ語訛りのフランス語で応えてくれた。それから後の彼の説明はギリシャ語だったので、一言一言の意味は全く判らなかった。

然し、私は、実は私の母方の祖父が、近くの八幡様の神主をしていたので、その言葉を、「爺ちゃんは、本殿の神前を『お潔め』しとるのじゃ」と言った語感で受け取った。そして、私は、「ああ、そうなのですか」といったような顔をしたら、彼も「そうなのじゃ」といったような顔をした。

樹木の葉の象徴的な生命力を利用して、こんな時には、ギリシャ正教でも、やっぱり青葉(あおは)を使うのですか……と言おうとしたのだが、その雰囲気の中で、そのニュアンスを正確に口に出来る自信は、私はなかった。

全部が誤解かも知れないが、それでも彼は、そうした雰囲気の受け答えを理解してくれたようだった。

大自然の中で生きている人間が、自分の存在や、その、過去、現在、将来について考える行動の一つに、宗教の問題だとまではいえないが、友情、愛情、契約、信頼、法律などを拠りどころにして日々を過ごしている、人間生活の底流に、バック・コーラスの様に流れている、直ぐには言葉にならない「思想」とも「信仰」とも言い切れない「ある、考え方の流れ」があることを感じている。

私は、個人的には、今を悔いなく生きて、あとは宇宙の塵のように「天の海」のようなところへ、消えてなくなるのが生き物の実像だと思っている。この世に私が居たということは、結局は、私を知っている人が生きている間だけのことで、私の消滅を惜しんでくれる人も数名はあるとは思うけれども、その人たちが亡くなったら、私はそれで、やはり、完全になくなるのだと思う。

だから、大切なのは「今」であり、「今、何をするか」であると私は思う。それで充分だと私は思っている。

 

つまり、「因縁」とか「因果応報」などという言葉で「理」を説こうと接近してくるのは、一種の脅しであり、巧妙な精神的「難癖」だと思う。「原因と結果」というのは論理の成り行きだが、「原因」が、不可思議な「尺度」を基準にして人に襲い掛かってくるというのは、素朴で正常な個人に対する、一種の脅しだと思う。

 

ただ、「死ぬ、ということ」については、人々はやはり何か言いたいのだと思う。キリスト教については多くを知らないが、ローマの、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂の大壁画にも、やはり地獄と極楽や天国が描かれていて、中部ジャワの大仏教遺跡ボロブドゥール近くの露天市で買った地獄極楽絵図と共通したところがあるように思う。そして、それは自分の生き方の反省の材料ではあると思う。

しかし、生命とは何かということは、我々は、難解な理窟だけでではなく、もっと卑近な理化学的、医学的現象としても、自分で静かに考えて見るべきだと思う。

このあたり、「生きている」ということを、「自分自身で考えてみる」ということと、既に何百年も、様々に工夫された言葉や喩え話で武装してきている、便利な「宗教」とをはっきり区別した方が好いと私は思う。「宗教」に走って、経文の中の片言節句に一方的に感激し、手早く安心を得たと思うのは、貴重な生命の無駄使いだとさえ思う。

 

また、今言った、生物としての人間の最大寿命が百二十年というのも、一種の科学的な推測の数字だから、実際にはその年齢まで生きるのは、一般には無理だと私は思っている。ただ、しかし、出来れば、そこまで生きたいと、実は、内心では思っている。私は、そして人間は、欲の動物だと思う。

 

では、それまで何をするか。日々をどう過ごすかである。社会の「法」に触れないことを前提に、遣りたいことを遣りたい。しかし、それは何か。それには掟や命令はないのだから、好きなことをすれば好いのであるが……。

これは喜ぶべき、得難い自由な世界である。しかし、情けないことに、その状態になっても、自分以外のものによる規範に頼ろうとする人が、思いのほか多くいるように見えるのはどういうことだろうか。確りしたいものである。

周囲を見回すと、人の為になることをして死にたいという人は多い。それは立派なことだが、時折出会う、それを自慢げに吹聴する人を、私はあまり信じないことにしている。そういうことは基本的には自分のためなのだから、黙ってすれば好いのではないかと私は思う。

 

今年も秋は過ぎた。秋は、春と並んで、旧知、旧友と会うことの多い季節である。同窓会、同期会などがある。そして、一人ずつ「最近の感想」とか、自分の生きてゆく方針とか覚悟などを語ることもある。そんなとき、非常に参考になる、好いことを聴く場合も多い。来し方、行く末を要領よく、詠嘆的にまとめて、その段階での生き方を、余裕あり気に客観描写する人の言葉も聴く。安楽、安逸を得るための秘訣を教わったと思ってしまう場合もある。

しかし、ふと考えると、やはりどこか物足りない気持ちを私は拭い去れない。

 

この秋(二千八年十月)、私は奈良の薬師寺と、信州長野の小布施(おぶせ)町の、葛飾北斎の行動の軌跡を留める展示館や寺などを訪ねた。

 

あらためて気が付いたのだが、奈良の薬師寺には、自分が死んでも、それを受け入れてこちらの魂を慰めてくれそうな阿弥陀仏も釈迦牟尼仏もなく、死者を弔う陰気な、「死後の魂の処理場」の雰囲気……と言って無作法なら、拝みさえすれば無条件に、こちらを救ってくれそうな雰囲気はない。

あの寺の「金堂」には、薬師如来と日光、月光菩薩や、後に仏陀と呼ばれるようになったシッダールタという偉い修行者と共に、人生の覚りのために激しい修行をした、世に言う仏陀十大弟子の像が配置され、「講堂」には仮想の論理が生み出した「未来仏」である、弥勒菩薩が座っているだけである。

同じく、奈良の東大寺の、通称、奈良の大仏の毘盧遮那仏(ヴァイロチャーナ)も、人間の精神世界の大照明灯のように「輝きわたるもの」ではあるが、自分で人間として生きている意味を真剣に考える努力もしない者の魂を、死んだからといって無条件に救ってやるとは言っていないように私には思われた。

要するに、あそこは、私には、見事に出来た、荘厳でさえある大小の人形を通して我々が生きる上で参考にすべき「模範的な精神の陳列場」に見えた。

 

この点は人によって見解が別れると思う。拝めば、悪人でも、尚、救われると言っている、葬式仏教の宗派もあることは知っている。精神の鎮痛剤のようなことを言っているが、「直ぐに効く」ことが判って、それまでは勝手な、怠けた生活をしていても好いというのは、本当に親切なのかどうかが疑わしいと私は思う。それは飲みたい人に酒を止められないのと同じで、呑む者、信じる者の自由である。信じる人は信じれば好い。自分の心の真実よりも、つくり話の方が面白くて、気持ちが好いと思う人はそちらへ行けば好い。ただ、私はそこまでは思わない。それは私の自由である。

 

しかし、私は、釈迦、シッダールタと呼ばれた人が、その覚りの中で、「人間として生れてきたこと自体が苦しみの始まりである」と言っておられることは知っている。彼は、我々が生きているということの「意味」を真剣に考えた哲学者だった。他人のためではなく自分のために、である。そして、彼は人生というものの意味を悟って死んで行かれた。その、シッダールタと言われた人の「言葉」と「生き方」を周囲の者たちが参考にしているのが仏教というものの正体である。また、所謂「お経」というものは、本人のレポートではなく、友人知己の「観察レポート」である。

シッダールタは人生に関して、「四苦八苦」の「四苦」は「生、老、病、死」だと、「生れたこと」を苦しみの最初に挙げておられるが、それは流石の言葉であり、潔い(いさぎよい)判断だし、それには私は深く感服している。それらについては、人は日々の驕りに紛れて気が付き難いことだが、その通りだと思う。我々、「衆生」一般は、「生きているのは当然のことだ」と考えて、深くも、真面目にも考えず、その次の「老、病、死」で、今、それが近いということに気が付いて、外聞もなく悶えているのだが……。

事実、シッダールタは人生というものをそのように理解して、真面目に生活を重ねて死んで行かれた。しかし、彼は自分の悟りに関しては、意図的には、演説も説教もされなかった。彼の周囲にいた者たちが、折に触れて、彼の行動に接したり、耳で聴いたりした言葉などの記憶を頼りに、彼の考え方と生き方や言葉を纏めて皆に説明しているのが仏教の実態であると私は思っている。

 

ところで、その薬師寺では、高田好胤という、ある時期の一高僧の発案で、一般の人からの、「般若心経」の写経を丁寧に保管しているとのことである。

 

「般若心経(はんにゃしんぎょう)」は、私の知るところでは、中国西域辺境の亀茲(キジ)国のクマラジーヴァ(鳩摩羅什)という王子が、青年のころ、インド留学中に、祖国が中国に滅ぼされ、捕虜として大唐長安へ連行された悲運の中で、中国語にも堪能だったために、求められ、恐らく、強いられて、その根本的な諸経典を、インドの原語、多分、サンスクリット語かパーリ語から、中国語、つまり漢文に翻訳した結果である。それらが名訳だった。そのなかに般若心経も含まれていた。後世の者は、彼に深く感謝すべきである。その二百年後に、玄奘三蔵もそれを訳し、現在では、その玄奘訳が基本とされている。中国人の民族的な自尊心の所為かも知れない。   

私は漢訳以前のものを知りたかったので、ある研究者からフランス語訳のテキストを借りて読んだことがある。パーリ語からのフランス語訳だったが、私は、それによっても、それらの漢文訳が名訳であることを知った。

その原典に記されていることは、インドやセイロンから、チベットやビルマ、タイなどで広く了解されている仏教の真髄であって、あの、漢字で三百字に満たない文言を心から理解すれば人間は生きてゆく力と勇気を得られるものと私は思っている。私は、親族、知人の葬儀の時などに、しゃしゃり出て読経はしないが、それを微かに心の中で呟いて故人を偲ぶことにしている。

その核心となる言葉は何か、と尋ねられるかも知れないが、それは難しい。ここでは言いたくない。勿体振っているのではなくて、誤解を恐れ、自尊、自慢の話と執られることも不本意だからである。短い文書だから、それだけは、自分で落ち着いて、静かに読むべきだと私は思う。「……要するに」と言う言葉が、非常に危険だと思うからである。

その「般若心経」を我が郷里、桑名の然る老舗の主人が、数十年かけて一万巻書き、それを薬師寺に納めたと寺の僧侶が讃えるが如く私に言った。桑名出身者だから、お前も確りしろと私にも言う積りだったかどうか知らないが、雰囲気はそれに近かった。しかし、気持ちは有難いが、私は、それだけでは不十分だと、その時、思った。手習いとしてなら、亡父にも仕込まれたし、やはり書いた方が好いことは判っているが、まだ行動には移していない。

その熱心で殊勝な、郷里の商店主を批判する積りはないが、その写経だけでは、私は、心が何処か治まらないのである。

 

奈良と前後して、この秋、私は初めて信濃の小布施町へ行った。そして、江戸下町出身の絵師、葛飾北斎が、八十歳を過ぎてから、四十歳も年少の、土地の豪農商の高井鴻山(こうざん)という才気の好漢に出会い、生活上の庇護も受けながら、絵画、芸術活動で燃え尽きた、その場所を見てきた。

鴻山は北斎を「先生」と呼び、北斎は彼を「旦那様」と呼んだという。二人の、その節義にも私は感激した。

その町の、東の山裾の岩松院という禅寺の本堂の天井には北斎の手で、竜ではなく、極彩色の見事な鳳凰が描かれている。すばらしいと私も思った。

しかし、私が感動したのは、喧伝される種々の作品は勿論だが、高井家の屋敷に連なる「北斎館」で見る、折に触れて、下書きの様に描いた彼の素描である。それらには、老齢にも拘らず、円熟や枯淡を仄めかす素振りがない。私が言いたいのは、ただひたすら鋭く、激しく、新鮮に、力強く筆を揮い続けた、決然たる、そして、瑞々しい、彼の、種々の下絵、デッサンについてである。

 

北斎は、八十歳で、それまでの、あの幾多の名作をも、「己が恥」と区分して、我、今も未熟、と呟いて筆を握ったという。

 

写生に写生を重ねた伊藤若冲や田中一村とか、栄光の狩野派を向うに回して、京都、東山の南禅寺の襖などに、果敢に筆を走らせて、対象を逃さず的確に描き抜いた、能登出身の長谷川等伯たちと並ぶ、日本が生んだ珠玉の芸術家だと私は思った。

飛躍だと言われるかもしれないが、芸術としては、素描に揺るぎのない、西欧のミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロたちに見る凄味である。また、これはパリの裕福な商人の息子で、芸術家というものによくある、劇的な人生を送ったわけではないのだが、その人格の穏やかさ故に、人もあまり騒がないため、注意深く見ないと判らない、「真珠の女」で静かに愛でられるカミーユ・コロの慎ましい凄味に似ているとも私は思って帰ってきた。

 

素描、デッサン、下絵……それは絵画芸術の基礎だが、同時にそれは人間として生きる基礎的な「原点を確かめる」姿勢でもあり、その原点が常に狂っていないことを確かめて生きている人を、私は敬愛していると言っても好い。

金銭、名利を目当てに、焦りの中で流行に迎合し、近くの神社の「雪洞(ぼんぼり)祭り」などに、軽薄なデッサンを「出品」する当節の「大画家」とか、画商や、俗物的な評論家や、軽薄なマスコミには騙されまいと思った。

 

ここで私が言いたいのは、年齢を重ねてから、人は何をすべきかという心の問いに対して北斎が暗喩の如く指し示してくれた、「もう一歩だけ前に進もう」と、老躯、尚、自己確認の精進を続けた、彼の生涯の痕跡の凄味である。

ここは絵画芸術の話であるが、「もう一歩だけ……」と己を糾す気構えは人生の様々な場面に当てはまると思う。折角、生れて、生きてきたのだから……。

 

人は誰も、「心の炎」を持つと言われている。過してきた歳月、記憶に残る過去、様々に呼びかけてくる忘れ難い思い出の数々に混じって、自分にも、絶対消せない「心の炎」があることを私は感じている。その「炎」をどう扱うか?この秋、七十五歳の秋、私は北斎に叱られたと感じた。老いても、そして、仮に病んでも、寿命が尽きて、その炎が自ずから消える時まで、彼と同じ様な執念で静かに生き抜くのが本当の人間なのだと私は思った。

怠りなく、確りと自分を磨き続けろ……。それは、小学校の頃から親や先生たちが言い重ねてきたことである。ただ、その頃は、これから大人になるための覚悟や方法として彼らは我々に言っていたのである。しかし、人間であることが終るまでその努力が必要であることを、我々は今、改めて知るべきだと、当たり前といえば当たり前のことを私が感じているということを、私はここで言っているのである。

誰のためでもなく、ただ自分のために。

 

 人間であることは、生きている限り「卒業」出来ないものなのだ……。   

 

終(08.12.09/09.12.28/10.01.26)

News Letter

文教大学講演会

NPOマイスターネットでは、大学とのコラボを目指していますが、過日、文教大学からリーダーシップに関する講演依頼がありましたので、下記の通り、同大学の情報学部の大学生を相手に講演しました。

 

テーマ:ソーシャル・マーケティング、大学から社会へ
~問われるリーダーシップとは~

日時:平成24年12月10日(月)13:20-14:50

場所:文教大学湘南校舎(茅ヶ崎)

レジメ:こちらです

 

講演後、何人かの学生から活発な質問があり、学生の関心の高さを実感しました。

今後も、このような大学とのコラボの機会を設けていきたいと思います。

講演会「リーダーシップ入門」

本NPO理事長の橋本氏が精力的に講演会を行っている。

去る11月18日にイーテクノ株式会社で企業向けリーダーシップ講演会を行い、コミュニケーションの重要性とリーダーシップのあり方について説いた。

講演内容はこちらです。

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講演会 「創造的な生き方の発見」

本NPO理事長の橋本氏が、7月29日に京橋会館で開かれた講演会で、「創造的な生き方の発見」という講演を行った。

「人間は本来80歳~90歳まで創造的な仕事をできるが、日本では制度がそれを阻んでいる。皆、それぞれテーマを見つけて頑張ろう」という主旨の講演でした。

講演内容はこちらです。news_4_1

マイスターネット5周年記念集を発行

マイスターネット設立から昨年末で5年を経過したのを記念して、その間の活動をまとめた「マイスターネット5年間の歩み」というパンフレットが5月に作成された。

 講演やワークショップなど60回を越す活動が題目と簡単な内容で紹介され、何枚かの写真で、雰囲気もうかがうことができる。

  

インドネシアから  頑張れえええええ 日本!

アイコア社の日本語指導をした時のフェルディカさんから東日本大震災の復興激励のメールが、3月末に届きました。

私はインドネシア語の勉強をお休みしていますが、「楽しいインドネシア語」の講座の皆さんに資料としてお渡しました。そしたら石橋さんが訳をしてくれたので、一緒にご紹介します。

インドネシア人の優しさ、彼の真摯な気持ちが伝わってきますね。                         (赤井記) 

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