マイスターネット

「眠れる知財」を掘り起こすNPO法人

本当に、指折り数えてみると、もう二十五年以上も前のことである。

 

ある年の夏、夕方、まだ幼稚園へ行っていた頃の息子が、今日も、恐いおじちゃんが家に来て、パパはいるか、ママはいないのか、お金を払って欲しいと言っていた、と言っておけ、などというので恐かった……と言った。私の、身に覚えのない話であり、仮に、先方の勘違いだったとしても、子供にとっては可哀想な話だと、腹が立った。

 

すると、数日後の夕方、私が家にいたので、日曜日だったと思うのだが、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、上の部分に白いカヴァーをつけた、庇のある制帽を被り、制服を着た、タクシーの運転手がいた。

 ……アッツ、旦那じゃあねえや……と聴こえる声を、その男は上げた。

 よく聴いてみると、数週間前、この町内の、近くで乗客を降ろしたあと、車庫へ戻る積りで、我が家の近くのバス停まで来たところ、そこで、手を挙げて、自分を止める人がいた。当然、そのお客を乗せた。大船駅まで送ったが、下車の際、今、小銭がない、急いでいるので、代金は、後で我が家へ取りに来て欲しい、そこの、角から二軒目の「長谷川…」だ、と言って大急ぎで、駅の中へ消えてしまった。角から二軒目といえばお宅だが、あの時乗ったのは旦那じゃねえな……と言った。如何にも私は「長谷川…」だが、私は、駅へ行くときに、タクシーは使わない。私は、普通、バスにも乗らずに、徒歩で、この先の「明月坂」を下って、「北鎌倉」から電車で出かけている、人違いだな……と私は言った。そうですか、でも私は確かに乗せたのだし、家も、そう言って、自分で、「長谷川…」さんと言ったよ……。角から二軒目と……、困ったな……、と彼は言った。

 変なお客もあるものだと思った。日常生活では、一人前の男が、現金を持たずに外出することは、あり得ないことだし、如何に急いでいても、一文無しでは、仕事などの用件も果たせないではないか。「急いで」何処へ行く積りだったのだろう。現代社会を生きる資格のない人間ではないのか。普通なら、そんな場合は、帰宅するか、家人に電話して、駅にでも、届けてもらうものである。

「俺は…様だ、銭は、後から屋敷へ取りに来い…」とでも言いたかったのか。現代人の感覚では理解できない。掛売りが通用する、特別の時代の、特別な世界。「お豆腐一丁、油揚げ五枚、一寸、家に付けといてね……」と言って、生活が出来ていた、昭和初期の、三重県桑名市三の丸の、祖母の家の界隈のような、クローズド・コミュニティ……、ローカル・クレディット・サークル……が成り立っていた、そんな世界が、まだ、私の身辺にあったのだろうか。それとも彼は時代錯誤の田舎者なのか。

今どき、そんな生き方を平然と貫こうとする人物、そんな人間の顔を見たくなるような場面だった。

 

「長谷川…」と漢字で三文字で書く家は、近所に十軒近くあることは、私は知っている。これは、長年月、外で勤めていた私の、半ば職業的な習性だが、自宅の周囲の佇まいや、近所の家屋の特徴、住人の職業や社会的な行動に関する噂を私は記憶していた。そして、苗字だが、これは人によって差はあるが、それ程詳しくは知らず、また、親しくなくても、人は、一般に、同姓というだけで、ある程度の親近感が涌いてくるものである。相手さえ変な人物でなければだが……。普段の郵便物が間違って配達されることは少ないが、不思議と年賀状は誤配が多い。そのため、この辺りに永く住むと、そのケースを体験する回数も少なくない。誤配の年賀状や、郵便物は、毎年、私は、面白いので、自分で再配達している。その乗り逃げもどきの、無神経で、態度の大きい「長谷川某」も私の捕捉の網の中にいた。しかし、その「長谷川某」は、「角から二番目」ではなくて、「バス停から二番目の角」の家である。その点は、運転手の聴き違えか、記憶間違いである。それにしても無神経な野郎だと私は思った。

 

タクシーから下りるときに、小銭がないことに気付いたのなら、私はこういう者なので、と、自己証明として、名刺の一枚も渡すのが礼儀である。昔も、東海道の、大井川とか宇津谷峠(うつのやとうげ)などの、所謂、道中の話では、人々は、旦那寺の書状とか、何らかの証(あかし)を見せて互いに接していたものだと聴く。パリでは、今でも、市中の警官は、「パピエ・シル・ヴ・プレ……」と、身分証明書の提示を求めてくる。運転手の言うとおりだと、身元の証も示さずに遁走するに等しい卑劣な行為である。その男は、現代社会を生きる資格の怪しい人間に違いない。運転手が穏かな人物だったからそれで済んだが、「乗り逃げです!…」と、警察へ突き出されても仕方が無い行為だった。

我が家の前から大船駅までだと、走行代金は、ほぼ二千円だったろうが、その程度の金を持っていないというのはおかしい。小銭がないというのでも、一万円紙幣くらいは持っていたのではないか。その程度の支払に対してなら、運転手もつり銭の準備はあったはずである。どうも、言っていることがおかしい。 

 

運転手が言う、その人物の家、それは、角から二軒目ではなく、二番目の角の最初の家だが、彼が言っている「長谷川…」宅へ、私は彼を連れて行った。

来意を告げると、玄関から土間続きの台所の奥から電燈を背景にしてその家の主婦らしい年配の女性が現れた。私が事情を説明する間もなく、同行の運転手が、急き込む様に、脇から前に出て、自分で事情を説明し始めた。相手も応答を始める気配があったので、タクシー運転手の気勢を抑えずに、私はそのまま退散した。帰宅して二十分ほどしたら、再び玄関のチャイムが鳴った。運転手だった。事情を説明して「売掛金」も回収できたという。「ありがとうございました」と、彼は何度も頭を下げた。律儀な運転手だった。

 

数日後の朝、私が玄関先の植物に水を遣っていたとき、年配の女性が玄関に現れた。話では、先夜、玄関から続く、土間の奥から出てきた女性らしい。

「この間はご苦労様でした……」という。何が「ご苦労」なのだろう?

唐突な物言いである。自己中心的な人間とは、こんな人物を言うのだろうか。

善隣友好という観念も、集団生活の倫理や、素朴な礼儀も知らないらしい。市民生活の倫理……というものを知らない、鈍感な年増女なのだ。宇宙は、自分を中心に周っているとでも思い込んで居るらしい。

「?」……、何の用だろうかと思った。彼女は、自分を名乗りもしなかった。私が、当然、彼女が誰であるかを知っているとでも採れる振る舞いだった。いや、知っているべきだ、とでも言っていような、教養の乏しい雰囲気だった。

気品も、艶も、魅力も感じさせない、欲張り婆が、渋々出てきたとでも言うような雰囲気だった。

「何方(どなた)ですか?」と尋ねようと思ったが、先日の夕方のことを思い出して、見当がついたので、私は、次の言葉を待った。

「ご足労をお掛けしました」とか、「ありがとうございました」とも言ったが、見当違いの、金銭の執拗な請求で「ご迷惑をお掛けしました」ではなかった。自分たちが何を仕出かしているのか、何にも判っていない女だった。

自分の亭主が自分の姓しか名乗らなかったのは仕方がないとしても、世の中には「長谷川…」などという姓は、掃いて捨てるほどあるのであって、一声唱えれば、「ハイ、何々様」といって万人が平伏すような姓ではない。それさえ判らないノーテンキな女だった。少なくとも私より前に入居していたのだろうけれど、それにしても、自己肥大症というか、周囲の実情には全く無頓着な人物に見えた。近所に同姓の人がいて、自分の夫の、尊大で、軽率で、横柄で、無神経な行いによって、その、同姓の家の人が、とんだ迷惑を蒙る事態にあったことは微塵も判っていないようだった。

自分の名前と住所さえ明確に称えなかったために、一人のタクシー運転手という薄給のサラリーマンが、売掛金を回収できなくて、何日間もキリキリ舞いさせられていることの無残が判っていないようだった。「ボク、オカネナイノ、ウチヘトリニキテ」とだけ言った、自分の亭主は、大きな馬鹿王子さまだったということが判っていないらしかった。

 

その亭主にして、この妻ありか?……と思わざるを得なかった。

「ご苦労様はないでしょう。現実にですね……」と、口には出さなかったが、経過した事態だけを説明しようとしたら、それを聴く前に「ありがとうございました……」に似たことを言って去っていった。何をしにきたのだろう?

 

今後気をつけます、とか、無礼な夫には昨夜,注意を促した、夫婦で反省した、などと言った、事態改善につながる言葉も全く無かった。飼い犬の粗相を詫びるほどの気配もなかった。恐ろしい精神構造の夫婦だとも思えた。

そして、楽な構えの女だ、と私は思った。

挨拶というものを知らない女。あれでも社会的に通用しているのだろうか、と私は思ったが、余計なお世話だったのだろうか。昔風に言うと、親の顔を見てみたくなるような「不出来な」女だった。「才女の逆」、とでも言う言葉が当て嵌まりそうだった。いや、親も同じ顔をしていたのかも知れない。嫌な雰囲気の朝だった。

私は、三重県桑名市と東京都府中市の住宅地、鎌倉市今泉台五丁目などで暮らして来ている。

海外では、フランスのノルマンディー、カルヴァドス県のカンという町のヴァンドゥーヴル街、パリ市郊外のブーローニュ・ビヤンクール町と、インドネシアのジャワ島の、ジョクジャカルタ市の郊外の住宅街での、それぞれ一、二年間ほどの居住経験があるが、どこも、良く微笑み合い、それとなく気遣いあう、「人間の中」で生活していることを感じさせる心配りと儀礼に支えられた生活だった。

結局、私にとっては、今、自分の祖国にあって、その種の、自分の心が寂しくなるような発想をする人たちと一緒に、一つのコミュニティの中で生活しているのだと言う、鎌倉での生活の、一種の覚悟を抱かされたことが、この「事件」の「教訓」であり、「成果」だった。

 

そして、二十五年、四分の一世紀が過ぎた…………。

 最近、私には、息子が結婚して、同居し始めたときに若夫婦が飼い始めた,チワワの雄犬を,朝夕、散歩に連れて出ることが日課になっている。その犬の名は「光一」である。その名も若夫婦の、嫁の方が名付けたものである。然し、少なくとも、「光一」の運動、散歩に関する限り、それが私の日常の仕事の一つとして我が家の生活に組み込まれてしまっている。

それはそれでいいのだが、その光一を連れて朝夕歩くコースの途中に、母屋から離れた、と言っても、百坪程度の敷地の、道路に面した入口に、歌舞伎門(かぶきもん)と呼べる、小さな庇の屋根のある、引き違いの、細い木を縦に組んだ、小粋な、素通しの戸のある家がある。平屋なのだが、やたらに広い、瓦葺の屋根が目に付く和風の家である。

私は、先祖が、伊勢桑名でお城の瓦などを扱っていた、城主お抱えの「屋根師」だった由の、封建時代の産業工人の末裔なので、その瓦が、上質で、高価な、所謂「磨き瓦」であることも判る。瓦の、鼠色の光沢が違う。プレハブもどきのカラー鉄板の、ヘラヘラの屋根に覆われた家屋ではない。

数十年前、勤め先の斡旋で、この地区に分散入居した友人が、入居、間もない頃、その家を、姓だけを小粋に記した門札を見て、光栄なことに私の家と勘違いして、「流石、趣味が違うね、長谷川君は! 門と言い、家の脇の小さな竹薮と言い……」と、感嘆してくれて、打ち消すのに苦労したことを思い出した。

そこには、その家自慢と思われる、ごく小規模の、小料理屋の「坪庭」にあるような竹林と、青い石組みの傍に、文字通り、ネコの額ほどの畑、その家の人の言葉だと、多分、「菜園」があった。見れば茄子が三本ほど植えてあった。肥培管理の基本が判らないのか、痩せたまま、ナスの株が、その生命力のままにひょろひょろと生えていた。植物は、生育すれば自然に花芽が出来、交配が終れば結実に向うものである。自然の摂理とは恐ろしいもので、その「畑」の株にも、水分不足の状態で、小さな茄子が、不生育なりにぶら下がっていた。世に言う、ヘボ茄子(なすび)である。

誰が、そこに、その苗を植え、その苗は、誰が管理しているのだろう……、思わず私は思った。

それを、何かの象徴だなどと、私は言う積りは無いけれど……。

 

光一を連れて、ある夕方、その家の前の道を通った。通ったと言うよりは、その日の散歩の帰途が、偶然、そのコースとなった。しかも、全く初めてのことだったが、その家の庭の、その畑の中の、ヘボ茄子の際に人の姿があった。和服姿の男だった。見ると、私と、ほぼ同年輩の男だった。鼠色の和服に、ほぼ同系統の、濃い色の兵児帯を締めて、「畑」の真ん中に立っていた。痩せ型、撫で肩、背はあまり高くない。どちらかというと、小柄な男だった。柔道も剣道も強く無さそうで、下町の算盤学校で、叱られながら算術を習って、やっと大きくなったような、ズルソウな男だった。鼻の下に髯を生やしていたが、何処か役人の下級職の男が、空威張りで髯を生やしているような感じだった。

男性の髯で似合うのは、私には、写真でしか知らないのだが、夏目漱石と森鴎外の髯である。私はその二人の顔を愛しているし、尊敬を持って眺めている。然し、その男は、そうした夏目漱石からは、十枚も二十枚も格が落ちた。田舎の路傍の派出所の、空威張りの警官……と言うのがぴったりだった。彼と視線が遇った。しかし、私は、直ぐに彼から目を逸らせた。用が無いからであり、挨拶をする必要も無いからであった。当然、向うも、こちらから目をそらせた。目で挨拶する気配さえ無く、善隣友好の態度もなく、「近所の、犬を連れた、同年輩の庶民が行く……」と、横目で、こちらを受け取ったような感じだった。

鎌倉は、フランスのブーローニュ・ビヤンクールよりも、インドネシャのジョクジャルタのジャラン・ハルジュノよりも遠い処に思えた。

 

これも、全く余計な想像だが、あんな「ヘボナスビ」しか栽培できないのは、「腕」、つまり才腕とか、才覚が無いのは勿論だが、彼が、多分、出入りの「業者たち」からの「進物」に囲まれた生活で、自分の手で自分の菜園一つ管理出来ない、心の爛(ただ)れた生活に安住しているからかもしれないと私は想像した。

「頭は何のためにあるのか、帽子の台ではないのだぞ!」

昔、そう言って、ふざけながら、トランプや、マージャンで、囲碁将棋で友人たちと遊んだ時期があった。

その言葉は、野卑で、辛辣だが、それでも、真実の一面を指摘していると思ったものだった。それを、あのヘボナスビのオッサンに進呈したくもなる。

 

しかし、目の前の現実に戻って考えて、ナスは、庭先の畑で作っても、心をこめて、的確に管理を続ければ、新鮮で、光沢豊かなものが出来る。今度、夏になったら、一度、こちらの、ピカピカの自家製を届けてやるかとも思ったが、「どちらの業者さん?」と、あの、先日見た、地獄の一丁目に住むような婆あが尋ねそうなので、私は、やはり、それだけは止めている。

 (100820)

News Letter

文教大学講演会

NPOマイスターネットでは、大学とのコラボを目指していますが、過日、文教大学からリーダーシップに関する講演依頼がありましたので、下記の通り、同大学の情報学部の大学生を相手に講演しました。

 

テーマ:ソーシャル・マーケティング、大学から社会へ
~問われるリーダーシップとは~

日時:平成24年12月10日(月)13:20-14:50

場所:文教大学湘南校舎(茅ヶ崎)

レジメ:こちらです

 

講演後、何人かの学生から活発な質問があり、学生の関心の高さを実感しました。

今後も、このような大学とのコラボの機会を設けていきたいと思います。

講演会「リーダーシップ入門」

本NPO理事長の橋本氏が精力的に講演会を行っている。

去る11月18日にイーテクノ株式会社で企業向けリーダーシップ講演会を行い、コミュニケーションの重要性とリーダーシップのあり方について説いた。

講演内容はこちらです。

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講演会 「創造的な生き方の発見」

本NPO理事長の橋本氏が、7月29日に京橋会館で開かれた講演会で、「創造的な生き方の発見」という講演を行った。

「人間は本来80歳~90歳まで創造的な仕事をできるが、日本では制度がそれを阻んでいる。皆、それぞれテーマを見つけて頑張ろう」という主旨の講演でした。

講演内容はこちらです。news_4_1

マイスターネット5周年記念集を発行

マイスターネット設立から昨年末で5年を経過したのを記念して、その間の活動をまとめた「マイスターネット5年間の歩み」というパンフレットが5月に作成された。

 講演やワークショップなど60回を越す活動が題目と簡単な内容で紹介され、何枚かの写真で、雰囲気もうかがうことができる。

  

インドネシアから  頑張れえええええ 日本!

アイコア社の日本語指導をした時のフェルディカさんから東日本大震災の復興激励のメールが、3月末に届きました。

私はインドネシア語の勉強をお休みしていますが、「楽しいインドネシア語」の講座の皆さんに資料としてお渡しました。そしたら石橋さんが訳をしてくれたので、一緒にご紹介します。

インドネシア人の優しさ、彼の真摯な気持ちが伝わってきますね。                         (赤井記) 

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