第122回講演会
ヒマラヤ地震トレッキング
開催: 2016年10月15日 14:00~16:30
講師: 森木 エリ子

ネパール・ヒマラヤを2014年から2015年の間に3度トレッキングされた森木エリ子さんに体験談を伺った。
講師のヒマラヤ愛溢れるお話や現地で撮影された急峻な山々の写真等からその素晴らしさ、魅力、感動が存分に伝えられた。
3度目の2015年トレッキング中にネパール大地震に遭遇された。
- ヒマラヤについて概略の説明。
海抜8,000mを超える山が世界に14座あり、それら全てがアジアのヒマラヤ山脈、及びカラコルム山脈にある。
1.エヴェレスト(8,848m)中国名―チョモランマ ネパール名―サガルマータ(世界の尾根)
2.K2(8,611m)-カラコルム山脈 3.カンチェンジュンガ(8,586m) 4.ローツェ(8,516m) ・・・
7.ダウラギリ(8,167m) 8.マナスル(8、163m)今西寿雄氏初登頂 ・・・
14.シシャパンマ (8,027m)-初登頂を目指し日本隊が中国に提出した申請書を見て、中国が先に登頂。 - 初回はトレッキングツアーに参加。ネパールの首都カトマンズからセスナ機で40分のルクラ(2,840m)に到着。エヴェレスト街道をトレッキング。
- 2度目は、個人でトレッキング。その前にガイドのシュレス君を日本に招き、自宅に泊めて日本語の特訓。
- 3度目も個人でトレッキング。最初の地震(マグニチュード7,8)に、2015年4月26日 ルクラを経てナムチェ (3,440m)手前のモンジョを歩いている時に遭遇。
地面が揺れ、落石もあったが難を逃れた。行く手の山がショベルカーで切り取られたようになっていた。すぐ下山せずに、ナムチェまで上って行く。
2度目の地震―更に先へ進み、パンボチェ(3,930m)にあるアマ・ダブラムという名のロッジで遭遇。ロッジの女将さんは、ナムチェやルクラに帰るようにしきりに促す。ロッジでは通信が不可。
そこでダワと言う青年に日本にメールを送ってくれるよう依頼。チュクン(4,700m)まで登る。安全だったが、誰もいない。嘴の赤いカラスのみ舞っていた。意識が少し朦朧。登山家山野井氏によれば、「酸素が薄いと虫くらいの思考しか出来なくなる」。チュクンからの帰路、ロブチェ方面のトゥクラ(4,620m)、ぺリチェに回り、ナムチェに下山。
3度目の地震―5月12日ナムチェから少し先の村で遭遇。余震もあり、村の人々はテント生活。そこで3人のネパールの娘さんに出会う。彼女達はナムチェまで戻ることを強く勧め、親切にも荷物を持ってくれた。無事ナムチェに戻った。
しかしナムチェで泊まれる所は殆どない。パンボチェでメールを依頼したダワ青年に出会い、メールが送られていたことを確認。堅牢なホテルに泊まれることになり、荷物を持ってくれた娘さん3人も一緒にと探したが、見当たらなかった。
そしてナムチェからルクラに。そこでようやくシュレス君に連絡できた。カトマンズに無事到着。多くの建物が倒壊し、その惨状は想像を絶するものだった。
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