第159回講演会
- 日時 2019年11月16日(土) 14:00~17:00
- 講師 原 弘之輔
明治初期から昭和の20年代頃まで日本の産業発展に貢献した紡績・繊維産業について、豊富な資料や写真等を用いながら、講師自身の体験談を通して語られた。講師は昭和38年鐘ヶ淵紡績(鐘紡)に入社。当初は寮生活をしながら働く女工さん達の教育係を勤めた。
彼女達は働きながら教育も受けることが出来、昔の女工哀史として語られた女性達に比較すると恵まれた環境にあったと言える。
- 明治初期から日本の産業を支えたのは生糸で、輸出総額の3分の1を占め、外貨獲得の要であった。
- 生糸産業を支えていたのは長野県岡谷の機械製糸だったが、当時は若い女工60万人がその工場の底辺を支えていた。
- 岡谷の工場で働く工女達の多くが、岐阜県の飛騨地方から長野県の野麦峠を越えて岡谷までの100㎞にも及ぶ道を、時には吹雪の中も歩いて行き来した。彼女たちの姿が山本茂美作「あゝ野麦峠―ある製糸工女哀史」という作品に描かれている。
- 第二次世界大戦後日本経済の復興に貢献したのは綿紡績だったが、発展途上国で綿業が成長。また天然繊維から化繊や合繊繊維の発展により、安い木綿から高級ニューコットンに生まれ変わった。
- 戦後最初の鐘紡社長武藤絲治の経営哲学は、次の3点が基本であった。
①愛と正義のヒューマニズム ②科学的合理主義 ③国家社会への貢献
昭和の後半には日本経済はマイナス成長を経験し、産業構造転換期を迎えた。重厚長大から軽薄短小の産業へと変遷している。情報産業が興隆し、日本の産業も大転換期を迎えている。過去に学び将来を考える手がかりとなる講演であった。
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